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龍の眼 (原発事故に思う) [徒然]

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2011年3月 野幌森林公園




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2011年3月 野幌森林公園


原子力は「龍」のようだ。
何故かそう思った。

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人々はみんながもっと幸せになるために、冷たい地下深くから眠っている龍を掘り出した。
それから、大きな祠の中に龍を収めた。

祠の中の龍の深い眠りを知恵を使い慎重に少しだけ覚醒させると、たくさんの鱗からエレキがはじけ出る。
そのエレキを集めて人々の暮らしに役立てるための知恵を極めた仕掛けも、祠の中に作った。
けれどもしも、龍が完全に覚醒してしまうと龍は怒り、大きな火の玉を掴み天空を駆け抜ける。

昔、海の向こうの民と争いごととなり、怒れる龍を自分達の土地に放たれ、たくさんの犠牲を出した経験のある人々は完全に龍を目覚めさせることはとても危険なことであることを知っている。
だから祠は、龍を完全に目覚めさせないための最新の知恵とともに多くの人々の祈りを集め包み込まれていた。
龍を畏れる心を忘れず、たえず祈ることで多くの人々が祠を見つめることにより異常が起これば分かるように、そして子供達が知恵の力を過信して、龍の力を軽んじ龍を目覚めさしたりしないように、祈りは続けられた。
人々は自分達の知恵が完璧ではなく、大いなる自然の力には及ばないことを知っていた。

人々はそれまで、暖を取るために長年木々を伐採しそれを燃やしていた。
そのために、山は荒れ、海に土砂が流れ、魚も取れなくなっていた。
このままでは、将来安心に暮らすことなどできない。
人々の子供達が安心して暮らすためには、龍の力が必要であると考えられた。
危険なことを承知で龍の力の一部を利用することとした。
だからこそ祠は祈りが必要とされた。

年月が経って、龍の力のお陰で人々の生活に大きな不安は無くなり暮らしは裕福になった。
けれど人々は龍を畏れることを忘れ、龍の力は人々の知恵で完全に制御できるものと勘違いしはじめた。
祠は古くなり、ところどころが朽ち果てかけても誰も修理することをしなかった。
人々の知恵はもっと人々が楽しむために使われ、龍の祠をより頑強なものにするためには使われなかった。
祈ることを忘れ、だんだん祠の近くに住む人以外の人々の意識からは祠のことは忘れられつつさえもあった。

そこへ、気まぐれな海の底の神がクシャミをした。
人々の知恵はこの気まぐれな神の動向ですら事前に察知することはできなかったのだ。
大きな波が町を包み、祠の一部とともにさらっていった。
家も家族も失った瓦礫を見て悲しみにくれる祠の近くの人々の様子に、呆然としていた人々に聞こえたのは龍の唸り声であった。

「龍を覚醒させてはならない。」
そうして人々は龍がもう一度深い眠りにつくように必死の努力を行っている。
龍が安心するように、龍が生まれた海の水をかけて冷やしてみたり、壊れた祠の仕掛けをなんとか改修しようとしたり・・。
でも、祈りを失った祠では人々の知恵が十分に成果を上げられず、空回りし始める。
龍の鱗からはたくさんのエレキが弾け出され、鱗がこすれ合う音が隣の町まで聞こえるようになった。
この音のせいで人は安易に龍には近づけない。
祈りの声は少しずつ高まり、祠を包みかけているが・・・。

そして、今、龍の眼が開こうとしている。

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僕達は僕達の子供達や子供達の子供達のために、原子力発電所の事故をちゃんと収束させることができるだろうか。

こんな時に、欺瞞や私欲に絡む行動を起こしてはならないしそれを許してはならない。
全ての情報は神聖に開示されなくてはならないし、その分析は神聖に行われるべきだ。

正に今、このことへの対応で子孫の明日が決められようとしている。

「祈り」の意味を忘れてはならないと思う

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コメント 14

青い鳥

こういう形で警鐘を鳴らして下さったharu様にお礼を申し上げます。
有難うございます。
謙虚になる事、真実を明らかにして祈る事、
これしか残されていないと思っています。
by 青い鳥 (2011-03-26 23:52) 

mimimomo

おはようございます^^
素晴らしいです。
この物語が多くの方の目に、特にこの国のエネルギーを考える人々の
目に止まればいいですね。
by mimimomo (2011-03-27 07:55) 

mwainfo

「祈り」の意味を忘れてはならない」、人間たちが不遜になり、礼も祈りも忘れましたね。

by mwainfo (2011-03-28 22:47) 

むらさき

物心ついたころから、神仏に手を合わせることが当然でした。
それは恐れを知ると言う事に通じていた事のような
気がします。神仏すなわちそれは宇宙の営みに・・・・という
気がします。

by むらさき (2011-03-28 23:05) 

月夜のうずのしゅげ

拝読させていただきました。
龍の目が開き始めているのでしょうか。
by 月夜のうずのしゅげ (2011-04-01 01:52) 

haru

青い鳥さん

眼をつむり手を合わせることの意味を忘れてはいけないと思います。


by haru (2011-04-01 21:41) 

haru

mimimomoさん

こうした物語は形は違えどたくさん存在していましたよね。

by haru (2011-04-01 21:42) 

haru

mwaifoさん

そして不遜に落ちたものは過ちを繰り返すというのが物語の定形であります。

by haru (2011-04-01 21:45) 

haru

むらさきさん

人の知恵はどこまで行っても宇宙を超えることなどありません。
その怖さを知ることが祈りであるような・・

by haru (2011-04-01 21:46) 

haru

月夜のうずのしゅげさん

ぼくの感じでは益々龍の眼は開いていっています。

by haru (2011-04-01 21:47) 

こうちゃん

今回の事は、ある種、人間のおごりが作った天災の
気がします。
by こうちゃん (2011-04-09 23:54) 

masugi

びっくりしました。私も同じことを考えていたので…。
イメージは水の神の「龍」というより、火の竜ですが。

勾玉三部作の「白鳥異伝」で雷龍を宿す剣が放たれて、
辺り一体を焼き滅ぼした時のこと、ドラゴンを傷つけて
閉じ込め、最強の番人としていたハリーポッター世界の
銀行グリンゴッツで、暴れるドラゴンが建物を突き破って
空に逃げ去ったことなどを思いながらニュースを見て
いました。人は龍を飼いならしたつもりになっていたんだ
よな…と。
by masugi (2011-04-15 17:57) 

haru

こうちゃん

人間のおごりあるところに必ず災いが起こるのですね
by haru (2011-04-15 22:43) 

haru

masugiさん

昔からある神話や言い伝えにはいくつかのパターンがあって、それは自分たちの子孫に伝えるためにあるようです。
最近のアニメや映画のいくつかも昔の言い伝えや神話を繋ぐ物として存在しているのかも知れませんね。
by haru (2011-04-15 22:46) 

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