SSブログ

永遠の0 [読書]

RIMG0003.jpg
写真 野幌森林公園 2010年9月

永遠の0 (講談社文庫)

永遠の0 (講談社文庫)

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/07/15
  • メディア: 文庫

以前であったら、戦争、取り分け「特攻」をテーマにした本など敬遠していたと思う。
それが、さほど抵抗なくこの本を手にすることができたのはそれなりにぼくが成熟したせいかも知れない。

悲しい物語ではある。
でも、それを単に悲しくやりきれないということではなく、暖かくやさしい気持ちを持って読み終えたのは、作者が用意したいくつかのヒューニズム溢れる仕掛けが用意されているからであろう。
「悲しいけれど温かい」それが読み終えた時の感覚だった。

「特攻」で逝った祖父を知る人を訪ね歩き、それぞれの人の中の祖父の像を見つけてゆき、最後には本当の祖父の姿であると思える像を見つけ出すというある意味単純なストーリー。
でも、戦争を知る人達がどんどん少なくなっている今だからこそ、このストーリーの持つ意味は大きいのかも知れない。

この物語を読んで感じたことがある。
企業という組織はその創出期には組織を形成する人達の熱い思いや希望、夢に溢れていることが多い。
ところが一旦、成果を上げたり組織が飛躍的に大きくなると、そうした思いを隠れ蓑にした意思を勝手に組織自体が持って歩き出すことがある。
そうなると、組織の中の人間を抑える強い圧力を組織自体が持ち、個々の力では逆らうことが難しくなる。
そして、個々の思いと組織の意思との葛藤が生まれ時として「特攻」のように直接的に死に向かわなくとも場合によっては深く傷つき個々の命までも脅かすこともある。
また、そういう時には組織の意思を隠れ蓑にして保身のために生き延びようとする人間が現れることも多い。
どこか、あの戦争で起こっていたことは似ているのではないか・・。

「特攻」で飛び立った多くの人は天皇や国旗のために飛び立ったのでは無い。
死の恐怖に震え、国家の意思に矛盾を感じながら、愛する家族や故郷のために飛び立ったのではないかというこの本での考え方は、多分大方正しいことのように思える。

あの戦争での反省を僕たちはどのようにして活かしていけば良いのだろう。
戦争や「特攻」について考えることを単にをタブーとすることからは何も生まれないし、何も守れない。
それをしっかり考える時期は戦争を知る人が未だいる今しかないのかも知れない。

尚、ぼくは昔、柳田邦夫のノンフィクションが好きでたくさん読んだ著作の中に「零戦燃ゆ」という本があり、それを読んでいたのでこの物語の理解に役立った。
零戦は技術的にどういうところが優れていたか、欠点は何であったか、他国はどうやって零戦を攻略しようとしたかなど、この本にも書かれてはいるけれど、「零戦燃ゆ」にはより具体的に書かれていた。


nice!(13)  コメント(4) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 13

コメント 4

ちょんまげ侍金四郎

数年前に知覧特攻平和会館へ行ったのですが、遺書の展示コーナーでは涙されてる方が結構いました。
遺書は家族へ宛てた手紙ですから、その心中如何ばかりだったか考えさせられました。
永遠の0、私も読ませて頂きます。
by ちょんまげ侍金四郎 (2010-09-22 07:53) 

haru

>ちょんまげ侍金四郎さん

丁度この本の中に特攻へ行った方の遺書についてのくだりがあります。
是非読んでもてください。

by haru (2010-09-23 17:39) 

mwainfo

物事の本質を見極め、それを伝えることは本当に難しいですね。
by mwainfo (2010-09-23 17:54) 

haru

>mwainfoさん

感じた事をうまく相手に伝えられる方法があるのなら、世の中は変わっていますよね

by haru (2010-09-23 18:08) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。