初夏の六花の森へ [徒然]
母親の様子をうかがいに故郷の帯広へ行く。
特別な用事が無い限り土日は札幌から帯広に車をとばし、さらに母親と十勝管内をドライブ・・
今回はまたまた中札内へドライブ。
初夏の六花の森にハマナシを見にいった。
でも今年は未だハマナシはそんなに咲いていなく少し気落ちする。
「残念だね、お母さん。」
「何が残念なの?」
「ハマナシの花が少ししか咲いていないよ。」
「そうかい。」
そう言って母は何やら嬉しそう。
「ここにはずっと前にも来たことがあるね。」
「お母さん、何週間か前に来たよ。」
「そうだったっけ・・。」
母親の記憶は書かれた瞬間からどこかにこぼれていってしまう。
最近のことからこぼれていくので会話が成り立ちずらい。
でも、昔のことは良く覚えていて時々驚くこともあった。
ところが最近はその昔の記憶も少しずつ塗り替えられて違う景色のものになっていることに気がついた。
「ほらここにもこんな花が咲いてるよ。きれいだね」と母親・・
それはフタリシズカ、そっちは九輪草、これはハマナシと遠い昔に母が教えてくれたように花の名前を言う。
その度に母は少し嬉しそうに「そうかい。」を繰り返す。
子供の頃、ぼくが何かを自慢すると嬉しそうにする母親がいた。
その時と同じように母親はちょっと嬉しそうに同じ花の名前を何度も聞いてくる。
そうしてぼくは何度も花の名前を繰り返す。
ちょっと面倒だと思いながらも何だか照れくさい子供の頃のぼくがいた。
少なかったと仰るハマナシの花、でも美しく咲いていた事が写真からうかがえます。
同じ質問に何度も同じ事を答える・・・私も経験済みです。
お母様はharu様とご一緒に過ごす時間がとても嬉しかったと思いますよ。
by 青い鳥 (2013-07-03 00:49)
青い鳥さん
母親と過ごす最近の時間は最も親子の距離が近い時間だと感じています。わがままを言う、最近のことを忘れる、人の悪口が平気で言える、でも心根はやさしい母親を人間として感じています。
by haru (2013-07-04 22:28)