もう直ぐ [ショートストーリー]
*******************************************************************************
以下のお話はフィクションです。
*******************************************************************************
ただじっと座って待つ。 聞こえて来るのは貴方の痛んだ肺に酸素を送り込んでいく音だけ。
私は何を待っているのだろうとふと思う。
この時が来ることはずっと前から解っていた。
それなのに今、自分がその時を迎えていることをどこかで信じていないのかも知れない。
2週間前に家から病院にスーツを運んだ。多分貴方が一番気に行っていたスーツ・・。看護師さんに手伝ってもらってベットの上の貴方に着せた。やせ細った体にはもう似合わないかもとどこかでは思っていたけれど、それでもやはり貴方はスーツが良く似合う。そしてネクタイを緩く結ぶ。大事な打ち合わせや会合の時には必ず臙脂のネクタイをしていたから、やっぱり今日は臙脂のネクタイ。紺色のスーツによく似合っている。小さな町の工場の事務をしながら、いつもプライドを捨てなかった。その証のようにきちっとスーツを着ていた貴方を思い出す。
「どうして、スーツを着せたいのですか。」
そう看護婦さんに聞かれてちょっと躊躇した。はっきりとは自分の意思を表せなくなった貴方が、いつものように車椅子に座り病院のロビーで窓の景色を見せている時にかすかに私に言った言葉を看護師さんに返す。
「もう直ぐだから・・」
そうすると若い看護師さんは一瞬は驚きながらも納得したように悲しそうな眼をして車椅子にスーツを着た貴方を移すのを手伝ってくれた。そして病院のロビーで二人の写真を撮ってもらった。大きな窓に舞い散るたくさん枯葉を背景に・・。はらはらと落ちていく落ち葉はまるで私たちの過ごしてきた日々のよう。そんな事を考えた。あなたと過ごした日々はだんだんと枯れはててついには舞い落ちて風にさらわれて行くのだろうか。
出来上がった写真を見て驚いた。だって貴方はしっかりとした眼でカメラを見据えていたのだもの。微笑んでこそいなかったけれどちゃんとした意思を持った眼で私の横で車椅子に座っていた。
今ここで最後の時を迎えようとしている貴方。既に眼は力を失いどこか遠くを見つめている。貴方と撮った最後の写真があるから、きっと私はこうして自分でも驚くほどに静かに貴方を見つめていられるのだろう。貴方はまだ良いのだとふと思った。こうして私に見送られるのだから・・。私の最後の時は誰が見送ってくれるのだろうか。たった一人の息子のことを思う。とにかく要領が悪く大切な時に間を外してしまう。だから、結婚もできず、いつも走り回っている。貴方に一度膝や肘が落ちた「てらてら」のスーツを注意をされたけれど少しは良くなったのだろうか。一度はましなスーツを着ていたがきっとまた「てらてら」のスーツを着て走りまわっているのではないだろうか。だって突然のこととは言えこんな大事な時に連絡がつかないのだから。
「仕方が無いわよね。」
思わずそう呟きかける。もう多分ここには意識が無い貴方に・・・。
病室に看護師さんとお医者さんが入ってきた。貴方に繋がれたモニターに映る波形がだんだんと小さくなってゆく。やがて医師が貴方のやせ細った腕を取り脈を取る。まるで昔に見た映画のシーンのよう。最後の言葉は決まっている。その言葉を聞いても何故か悲しい気持ちにはなれなかった。
「さようなら・・・。」そんな言葉が口をついて出る。
病室をでて廊下の椅子に座り、貴方の最後の処置を待つ。身内への連絡や葬儀のことなどいろいろと考えなくてはならないのに何も考えられない。ただじっと眼をつぶって座っていることでなんとか自分を保とうとしている。やがて自分を呼ぶ声に気付く。
眼を開けてみるとそこには若い時のあなたがいた。
スーツを着て心配そうに私を見ている。
「ごめんね、かあさん。」そう貴方が言う。
そしてやっと、私の目から涙がこぼれ落ちる。
ポタポタと床に落ちるほどに涙がこぼれ落ちる。
「仕方無いわよね・・。」やっとのことでそう言い返す。
そうすると貴方は私の手を握ってくれた。
しっかりと暖かい手で・・
もう一度、その人影を見つめてみると、
そこには、紺色のスーツに臙脂のネクタイをしめた父親そっくりの息子がいた。
関連のお話
こんにちは^^
フィクションと言われても
何だかとても悲しいです・・・涙がこぼれます。
by mimimomo (2010-06-26 13:14)
再び~
こんにちは^^
わたくしのブログのお花は、ユキノシタではなく
ハルユキノシタでした。訂正いたしました。
by mimimomo (2010-06-26 14:10)
mimimomoさん
コメントありがとうございます。
そうですか、ハルユキノシタという花なのですね。
by haru (2010-06-26 16:32)
「きちんと子ども達に何かを伝えるのは本当に難しい」、すばらしい言葉です。お寄りいただき有難うございます。
by mwainfo (2010-06-28 22:24)
mwainfoさん
ありがとうございます。
時どきよらせてもらっています。
by haru (2010-06-29 14:34)
あの彼のご両親のお話なのですね…。
ホント、haruさんのお話にはいつもぐっと来ます。
by masugi (2010-06-30 01:14)
masugiさん
いつもありがとうございます。
by haru (2010-06-30 17:11)