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「ひとりしずか」に [追悼]

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 北海道では長く寒い冬が終わると一斉に花が咲き誇る。桜もコブシもツツジも梅もチューリップも水仙も・・・。みんな待ちわびていたように春を喜ぶ。森の中の草花も一度に咲き出す。エゾエンゴサク、オオバナエンレイ草、福寿草などなど。木々の葉がまだ茂らない短い期間にたくさんの陽の光やおいしい水を楽しんでいるようだ。
 この時期の森の草花の中でもぼくは以前から「一人静」という花が大好きだ。「一人静」(ひとりしずか)という名前は源義経が好んだ「静御前(しずかごぜん)」という女性が 一人で舞っている姿に見立てて名前をつけられたということである。なんとも優雅でまた花の形をうまく表したネーミングだと思う。花の形を見ると、白い花を葉が包んでいたり、葉を開いていたり、本当に踊っているように見えてくる。

 去年12月に亡くなったかのんもこの花を丁度、去年の今頃彼女の家の近くの森の中で始めて見つけて随分と気に入っていた。かのんは一昨年の10月に癌のため胃の摘出手術を受け、ぼくのすすめで職場復帰のリハビリのために家の近くの森林を歩くようになっていたのだ。いっしょに森を歩いた時にぼくがこの花を見つけて花の名前の蘊蓄を教えた時のことは未だ鮮明に覚えている。

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 その後「一人静」のことをかのんはブログにも残していて、得意の携帯フォトにかわいい言葉を添えている。これから職場に復帰して生活を支え、そして癌と戦うという決意の時期に彼女の心はこの花を見てゆっくりとそして、深呼吸をしながら進んでいくことの大切さを学んだのだと思う。彼女流に言えば「ゆるゆると」・・・。
 
 今年もまた、森の中でたくさんの「一人静」を見つけた。天候のせいもあるのか例年よりもたくさん咲いているような気がする。もしかするとかのんが咲かせているのかな、と思ったり・・・。「一人静」を眺めながらその名前を口ずさんでいるとふと思い出したことがある。
 かのんは癌になる前から生きることと死ぬことについて度々同じような話をぼくにしていた。「みんなひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。結局、生きていくということはそういうことだと思います。」これはぼくがいろいろな事で落ち込んでいた時に彼女がメールに返してきた言葉だ。

生きていくことは傷みながら、笑いながら、歩いていくこと。」「生きてゆくことはただ歩いて歩いて死んでゆくこと。」という詩も残している。この詩ほど、彼女の過激でありながらも可憐な一生を表現した詩は無いと思っている。そうして考えると彼女が興味を持った「ひとりしずか」という花の名前と彼女が言っていた死に対する考え方が妙にリンクしているようにも思える。もちろん彼女自身がそんなことを当時同じように考えていたかどうかは今となっては解らない。

 離婚で深い傷を負い、職場での理不尽に悩み、母として息子との生活を守ることに奔走し、そして最後はスキルス癌と戦いそれでいて最後まで希望を捨てなかった彼女にとっては、生きて行くということは傷を抱えながらいろいろな理不尽と立ち向かうということであったのだろうと思う。けれども反面どんな時も希望を捨てずに先に進むことを恐れたりはしなかった。そしてもう一つとっても大事なことはそんな生き方の合間のちょっとした間隙に楽しみ笑うことを忘れなかったということだろう。どんな逆境の時も絶える事はなかった彼女の笑顔は今でも鮮烈に思い出される。そして彼女が考えていた死とは「ひとりしずか」に迎えるものであったのか・・。

一人静か5.jpg そう言えば、かのんが亡くなる時に不思議な体験をした。(実は他にもいくつか不思議なことがあったのだけれど・・)かのんが亡くなる前の日の夕方にぼくは彼女をお見舞いに病院に行っている。痛み止めの麻薬のために意識も朦朧としていた彼女をベッドの脇で見つめながら息子さんと病状を聞いたりしていた。やがてその日はクリスマスだったことを思い出し、クリスマスが彼女にとって特別な思いの日であることを知っていたぼくは「今日はクリスマスだよ。わかるかい。」と声をかけると彼女は、はっと目を見開き一生懸命に頷いていた。そうてやがてぼくが帰ろうとすると必死に腕を持ち上げてぼくの手を握りしめて頷こうとする。ぼくは「頑張るんだよ」となんども言って手を握り返した。そうして病室を出てエレベーターに乗ろうとした時に何かが頭の中に閃いて見送りに来てくれた息子さんにこう言った。
「お母さんは今の姿をもうお友達やいろいろな人に見られたく無いと思っているよ。だから、最後の時が来たら誰にも連絡しなくていいよ。君がそばにいて手を握って看取ってくれることをお母さんは望んでいるよ。」
 そんなことをもともと思っていて話した訳じゃない。それにそんなことをかのんから聞いた訳でもない。でも、不思議とそんな言葉が閃いて当時あまり面識の無かった息子さんに熱心に話している自分に驚いたりもした。

 そして次の日の夕方に息子さんから電話が入った。
 「お母さんが亡くなりました。ぼくは最後ちゃんと一人で看取りましたよ。」そう言って電話口で泣き出す息子さんにぼくは「そうか、ありがとう。お母さんは喜んでいるよ。君は立派だったね。」と何回も繰り返した。まさか、あんなことがあった次の日に亡くなるとは思ってもいなかった。しかも彼女にとって特別な日であるクリスマスの翌日に・・・。でも不思議とその時は悲しい思いはなく・・・。

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 かのんは亡くなった日、一人で旅立つその瞬間まで愛する息子さんと時を過ごした。それが彼女の望みであったことは間違いない。その思いをぼくの口を通じて息子さんに伝えたのだろうか。
そうして、最後は受験をひかえた最愛の息子を一人残していくという無念の思いから解き放たれて「ひとりしずか」に旅立ったに違いない。

ノアの箱船を探しに・・・


写真 : 野幌森林公園、西岡公園 2009年5月

「かのん」ことペンネーム水月秋杜に捧げる


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コメント 7

mimimomo

おはようございますーー
人は一人生き、そして一人で死んでいく。
まさにその通りですね~
しかし不思議なことに、わたくしも見えない糸で
つながれる、何かがあると感じることがありました。
今でもちゃんと説明の出来ない何か不思議な力が
あるような気がします。
by mimimomo (2009-05-15 04:54) 

風子

永遠の別れは最愛の人と共にあるべきですね。
痛感します。
生きている私たちが思うことで、
故人はその人の中で生きられるのですから。
by 風子 (2009-05-15 20:58) 

haru

>mimimomoさん
確かに不思議なことが起こりもしかすると・・と思うようなこともたびたびあったりしますが今回の場合には確信に近く・・・。不思議なことが予定されていたかのようにいくつも繋がって起こりました。

>風子さん
そうですね。人の死というものは絶対的なものではなく相対的にそれぞれの受け止めるべき人の中で消化されていくものなのだと思います。


by haru (2009-05-16 09:51) 

こうちゃん

僕は両親の介護、死別を通して
いつかは、わが身なんだと、痛切におもいました。
by こうちゃん (2009-05-19 13:38) 

haru

>こうちゃん
幾度かの永遠のお別れを経験してゆくと、以外と死は近くにあってそれほど恐れるほどの事では無いとも思えて来ます。

by haru (2009-05-20 21:29) 

mコミュ

はじめまして☆
素敵なサイトですね^^応援してますよ♪

by mコミュ (2010-05-10 11:09) 

haru

mコミュさん
応援ありがとうございます。
そろそろ復活です。

by haru (2010-05-10 18:54) 

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