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晩秋 [ショートストーリー]


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以下はフィクションです。
でも、ある認知症の病棟で聞いたお話をもとにしました。
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写真 2007年10月  野幌森林公園

 車椅子をゆっくり押しながら、中庭が見える大きな窓に近づく。この病院の窓から見える景色を二人で眺めるのが、ほぼ毎日の習慣になってかれこれ2年となる。白い小さなテーブルの前に車椅子を止めて、私も隣の椅子に座る。
 「今年の秋は夏が長かった分だけ、一斉に紅葉が色付きだして、一斉に散っていくみたいですね。」
 「黄色やオレンジ色が多いまま、ちらちらと、葉が落ちてますよ。これはこれできれいね。」
 そう、話しかける。うつらうつらとした表情で、ぼんやりと景色を眺めながら、この人は穏やかに笑っている表情だけど解っているようないないような。何かちゃんとした返事をしてくれるとうれしいのだけども、最近は返事は期待できない。

 「今日は、秋らしい色合いの服を選んで着てましたよ。貴方は私の服装にうるさいものね。」
 ちょっとした外出にもエプロン掛けはもちろん、普段着のような服装で私が一緒に歩くのを嫌がった。若い頃から、一生懸命に働いて、ようやく得た役職や家庭をとっても大事にしていたからだと思う。学歴のことは気にしないと言いながら、どこかで気にしていたのが私には解ってた。だから、一緒の外出の時には、この人も大抵はスーツ姿で出かける。妬みのような、おかしな評判を振り払うためだったのだろう。学のない、成り上がりの女房だと、私が呼ばれないための気遣いだったに違いないと思う。どんなに貧しい時でも、季節に合わせた服を選んで買ってくれた。

 「晃がね、電話で心配してたわよ。今は未だ忙しいから、もう少ししたら会いにくるって。」
 いつものあまり、意味の無い会話。息子はここに入院する時に何年かぶりに会いに来た。会いたいくせに連絡を取る勇気が無くて、躊躇しているこの人の様子を見かねて私が息子の携帯に連絡を入れた。息子は突然の電話で父親の様子を察したのか、真新しいスーツを着てきたのが嬉しかった。その日は、この人もいつになく意識がシャンとして、父親としての体裁をなんとか保ちながら話をしていた。話の内容は、昔からの口癖の様なもの。
 「男は学歴なんかでは、判断できない。」という話と、「仕事をするときは身だしなみに気をつけなくてはならない。」といういつもの定番のお説教。
 息子は父親がどうにか体裁を整えながらも、確実に病気に犯されているということを感じた様子。昔からこの子は要領が良くなくて、上手に世渡りができない。30を過ぎて未婚で所得も少なく、ただ忙しくしている様子。うだつの上がらない、冴えない中年間近のサラリーマンというのが世間の評価というところだろう。その時以来、息子からは以前よりは電話の回数は増えたとはいうものの、会いに来ることはもちろん、会いたいのだという話も聞くことはない。自分のことだけで精一杯なのだと思うので、特に過剰な期待はしないようにしている。

 家を売りました。この人と30年間を暮らした家をいろいろな思い出といっしょに売りに出しました。私一人では広すぎるのだし、維持が大変になってきたという事もある。でも、本音で言えばいろいろと社会の中で喘いでいる息子に再出発のための資金を渡したかった。今のままでは、転職も考えられないのだろうと思った。この人がまだ、頭がすっきりしているうちに、家の権利を私に移したのはこういうことも想定していたのだろうと思う。
 今は、小さなアパートを借りて住んでいる。だから、この人が戻る家はもうないのだ。でも、そんなことをこの人に伝える必要は今はもうない。今こうして起こっている全ての可能性はまだ幾分か頭がすっきりしていた頃にこの人が考えていたのだと思うし、そのときに私がどういう判断をするかということも考えてあったのだと信じている

 この人がいなくなって、私一人になったらどうしょうかという不安はある。一人暮らしで、頼れる人もなく年金を頼りに過ごして行けるのだろうか。でも、そんなことを考えるくらいだったら、この人との今の時間を充実させたいと思う。だって他にすることなどありはしないのです。小さなアパートでは掃除もあっという間に終わるのだし、一人分の食事の支度もどうということはない。朝起きて、掃除をしたら軽く食事をとり、この病院に来る。その繰り返しが、今の私の生活そのものになってしまった。

 いつものように時が過ぎて行く。独り言のように私が話しかけて、意味の無い呟きを貴方が返す。少しずつ貴方は私達のいる世界とはべつの世界に移りつつあるのでしょう。その過程を確認しながら眺めていくのが私の役目のようなもの。ふいに貴方が言葉を発した。
 「えっ。」と私が聞き返す。
 「・・・もう直ぐだよ。」そう貴方は繰り返して言う。
 「そうなのね。もう直ぐなのね。」
 とうとう貴方は遠いところへ行ってしまう。

 「貴方が一番気に入っていたスーツを今度、もって来ます。体が痩せてしまって合わないかもしれないけど。
一度、ちゃんと身だしなみを整えてみましょうね。息子にあれほど、説教をしていたのだから、自らがちゃんとしなくちゃあいけませんよ。そうして髪も整えて、私も一番良い服を選びましょう。」

 本格的な冬を迎える前に、しなくてはならないことが増えた。
 悲しい気持ちなど、あまり沸かない。淡々と受入れてそして、時は過ぎていくのでしょう。

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http://blog.so-net.ne.jp/haruharuyoshiyoshi/2007-10-04


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コメント 15

我が身に起こりえるお話。
先日、逆パターンのドキュメンタリーを見ました。
配偶者がだんだん壊れていくのを間近に見るのは辛いこと。
無常は受け入れるしかないのでしょうね。
by (2007-12-12 20:29) 

pistacci

胸に染み入ります・・・。
by pistacci (2007-12-13 01:02) 

青い鳥

3人の親が壊れていくのを目の当たりにしました。
次は自分の番なのか、連れ合いの番なのか…
誰にでも起こりうるお話ですね。
でも連れ合いの番なら、かくありたいものです。
by 青い鳥 (2007-12-13 01:30) 

おはようございます^^
何年後かの我が家に起こりうることなんだと、身につまされる思い出読みました。
by (2007-12-13 04:46) 

pace

おこがましい事は承知
せつない
言葉はそれだけ
申し訳なし
by pace (2007-12-14 04:46) 

かよりん

奥さんの視点で書かれたお話・・・、まさに「晩秋」というタイトル通り物悲しいですね。
以前に読ませて頂いた「スーツ」は、このご夫婦の長男さんのお話だったのねと妙に納得。
by かよりん (2007-12-14 22:58) 

haru

>風子さん
最近は若年性のアルツハイマーが、ある小説の映画化で話題になりました。ぼくは忘れ物などが近頃増えてきているので、もしかしたらと思っています。人事ではないのよね。
by haru (2007-12-15 09:02) 

haru

>pistacciさん
いつもありがとうございます。
北海道は花が見れなくなって残念な季節になりました。
by haru (2007-12-15 09:03) 

haru

>青い鳥さん
ぼくの父親も最後は認知症でした。
この話は、実際にこの主人公のモデルの人と話をしたので、ほぼ実話。
世の中は、なんでもないようで無常が溢れています。
by haru (2007-12-15 09:06) 

haru

>mimimomoさん
何年か後には起こりうること。なのに今からできることは少ないですよね。病気のことだけではなく、家族のありかたや高齢時の生き方など問題は多いのです。
by haru (2007-12-15 09:23) 

haru

>paceさん
ありがとうございます。
by haru (2007-12-15 09:24) 

haru

>かよりんさん
てらてらのスーツを着ているような人って結構いると思います。若い人の所得があまりあがらない世の中です。その辺りにも悲しみは溢れていますよね。
by haru (2007-12-15 09:29) 

masugi

本当に、いつも切り取りがすごいですね。
以前の話ももう一度読ませていただいて、
その滑らかなつながりにもすごく納得しました~。
by masugi (2007-12-16 20:42) 

かよりん

スキンがとっても幻想的で、素敵ですね。
by かよりん (2007-12-24 21:20) 

haru

>masugiさん
切り取りという点では貴方の写真にはとことん脱帽です。
ぼくの文章などとっても及びません。

>かよりんさん
えへへっ 出来合いのスキンですからぁ・・・
んんんっ 自分でちゃんと作りたいです。
by haru (2007-12-29 21:00) 

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